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2019/07/04

2月ごろにDVDでアルモドバルのトークトゥハーをみたときから、素直なものに感動することに対して少し抵抗がなくなったような気がする。映画の中で、主人公の男が、大きいベランダのようなところで行われているパーティに出ている。そのパーティでは何故かカエターノヴェローゾが本人としてライブをしていて、男はモノローグで「カエターノが身に染みた」みたいなことを言う。私の身近にカエターノのファンがいる。基本的にはひねくれたような音楽をよくきく人なのに何故かカエターノは好きなんだと話していた。自分は映画のその場面をみてから許されたような気分になってカエターノのすでに買ってあったアルバムをちゃんと聴き直した。

それほど時間を開けずにおなじアルモドバルのバッドエデュケーションをみたらやっぱり一番覚えているのは子どもが牧師のギター伴奏でムーンリバーを歌うソプラノの声だった。その流れがあってなんとなく13回の新月がある年をみて、その事は前のブログに書いた。それ以来映画をみにいっていない。今度そのアップリンクでベルリンアレクサンダー広場14話を何日かにわけて上映するらしい。折角会員になったのだから是非みに行きたいと思ったがどう考えても時間がとれない。一体どんな生活をしている人があのスケジュールをこなすことができるんだろうか。じいさんばあさんくらいか。学生に時間があるというのは嘘だと、自分の学生時代を振り返って思う。パーマネントバケーションを撮ったとき、あるいはそのあとでもいいけど、ジムジャームッシュは何もすることがないずっと続く時間を持っていた、あるいは持つ予定があったんだろうかとよく考える。

自分はいつか終わりの決まっていない長い休みを持つことができるだろうか。

シニカルでいても良いのと同じ理由で素直な気持ちでいても良いと思ってからはクッツェーとかウェルベックとかフランゼンみたいな小説がポーズにみえてしまってすこしつまらなくなった。結局がっかりするのは、人を小馬鹿にした上で訴えたいことってなんだよと読む前からハードルが高くなってるからかもしれない。

それでも自分の基準からすると必要以上に神経質な・深刻な・ヒステリックな人をみると嫌な気持ちになるから、別に自分がきれいな人間になったわけではないのだと思う。

あとジェイコブコリアーのムーンリバーは好きじゃない。