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大江健三郎『水死』 新視点 ネタバレ有り

 以下の文章は大江健三郎『水死』、「奇妙な仕事」、『万延元年のフットボール』のネタバレを含みますので一切のネタバレをきらう心配性のかたはけっして読まぬようお願いいたします

 

 

 

 

 

 

 

 

……きのう大江健三郎の水死を読み終わって、最後のところでかなりヘンな事に気が付いたのだが、私の周りで水死をおしまいまで読んでいるひとを知らないうえに、気付いたことも全然大したことないだろうから、友人に水死よんでくれよとわざわざ頼むこともできず、しかし個人的には元々の関心にかかわることであるから誰かしらに言っておきたくもあり、ここで供養する

 

私は以前から「奇妙な仕事」の書き出しの一文、

 付属病院の前の広い舗道を時計台へ向かって歩いて行くと急に視界の展ける十字路で、若い街路樹のしなやかな梢の連りの向こうに建築中の建物の鉄骨がぎしぎし空に突きたっているあたりから、数知れない犬の吠え声が聞こえて来た。

「奇妙な仕事」岩波文庫大江健三郎自選短篇』所収 p.11

に対して並々ならぬ関心を寄せていた ただの風景描写ではない

「付属病院の前の広い歩道を時計台へ向かって歩いて行く」までで語る主体の移動が、「急に視界の展ける」で移動した主体の視野の変化が、「十字路」で、文末時点での語る主体の位置が、「若い街路樹のしななかな梢の連なりの向こうに建築中の建物の鉄骨がぎしぎし空に突きたっているあたり」で展けた視界のうちで主体の目線の動きが示されており、そのことは最後の「数知れない犬の吠え声が聞こえて来た」ためにそちらをみたのだとあとからわかるようになっている 

一文でここまでの情報を込めるのはただ事ではない 初読時には内心で「へんなの!」と言っていたかもしれないが、気付けばときどき思い返してはこの文を一篇の詩のように反芻するようになってくうちに、いつしか鉄骨のつきたつ「ぎしぎし」とはいったいどういうことかということに関心の重心が移ってきた

 

ところで、きのう読み終えた「水死」の終わりはこうなっている

 しかし、森歩きの古強者大黄さんは、注意深く突き進んで、決して倒れないだろう。錬成道場の真上の森は、本町区域を迂回して、谷間の森につながっている。大黄さんは歩き続け、夜明け近くには追跡の警官隊に追いつかれる心配のない場所に到っていただろう。それからは樹木のもっとも濃い葉叢のたたえている雨水に顔を突っ込んで、立ったまま水死するだけだ。

『水死』講談社文庫 p.526

大黄さんは、

本来は黄さんだったのに子供としては柄が大きいので大黄(だいおう)さん、孤児の引揚者のして作られた戸籍の名は大黄一郎、それが気の毒だとお母さんが採集する、薬草の大黄が村での呼び名はギシギシなので、そういうておった人……

『水死』講談社文庫 p.280

と説明されているとおり、語り手やその家族たちからはギシギシ、とかギシギシさん、と呼ばれている 実際作中でも大黄にギシギシのルビが振られたり、ギシギシさん自体がギシギシを自称している場面もある

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第八章 大黄(ギシギシ)

『水死』講談社文庫 p.277

 

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大黄さんの自身の発言「〜やっぱりギシギシですが!」

『水死』講談社文庫 p.524

 

大江自身が「これが小説だと主張する気持ちは半分半分です」と語った『晩年様式集』を除けば、『水死』が大江の最後の「小説」と言って良いだろう そして「奇妙な仕事」は大江のデビュー作だ 

そう、大江健三郎の初めの短編の一文目と、最後の「小説」の終わりの文はともに ぎしぎし たって いるのだ 

 

 

 

これがどういう種類の冗談なのかは自分にもわかっていないが、検索した限りそういうことを言っている人もみつけられなかったため、新視点ということで書いた 

 

 

 

以下余談

作品のネタバレについて 私はまったく気にしないのだが、気にする人がいるのもたしかなので、上では注意書きめいたことを掲げた しかし「気にする人がいるからやめる」式の道徳はクソだとも思っている できることならば根拠を示したうえで、私はやるとかやらないとか言いたいものだが、正直いまのところそこまでネタバレということ自体に興味を持てないでいる そこで仕方なく(怒られるのが面倒で)書いた、書いてしまいました

先日Twitter万延元年のフットボールのネタバレにあたる投稿をしたくてたまらなくなったのだが、おそらく話の根幹にかかわるネタバレになってしまうだろうからぼかした書き方しかできなかったのがやっぱり気掛かりなのでそのこともついでに書く

「はじめおれが襖のこちら側から覗いていた間は、鷹が胸や股にさわるのを、ただ疲れているから反抗するのが面倒で、そのままさせているようだったけれども、おれが襖をあけた時にはもう菜採ちゃんは、鷹がやり始めるのを待っていたよ。おれは裸足の足の裏がふたつ、鷹の尻の両側に、おとなしく直角に立っているのを見たもの! おれが、今度は菜採ちゃんに、そういうことをしたら蜜にいうぞ、といったら、菜採ちゃんは、いってもいいのよ、星、といって静かにしていた。とうとう鷹がやり始めても足の裏はそのままじっとしていたし、痛がる様子なんかなかったよ!」

万延元年のフットボール講談社文芸文庫 p.344

ここでは、蜜が主人公、菜採ちゃんがその妻、鷹は蜜の弟、星は鷹の子分なのだが、場面としては主人公の蜜に対して星が妻の不貞をねちっこい描写で教えてあげているところ 

この足の裏の角度に対する異常なこだわりだけでも大江健三郎の偉大さが示されている 漫画やアニメと違う、小説にしかない強みです