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2020/02/06

私が私でいられる ということと 私が私でいられなくなるかもしれない ということの両方に困っているんだと思う。私が私でいるうちは全てのことが決まりきっていて、思ってもみないことが起きたりすると自分というものが無くなった気がする。二つの気分の間を行ったり来たりして馬鹿らしいから、繰り返しの作業や何か型のようなものを身につけることと、生活に偶然性を持ち込むことの両方を、それぞれに対して行わないといけない。そう思う一方で、何もせず行ったり来たり馬鹿らしくしているのでも別に良いと思っている時もある。

 

偶然性を持ち込むのって意図してやることでもなくて、一番手っ取り早いのは他者を連れてくることだけど、それって他者を道具として使ってるような気もする。

 

ハマスホイ(むかしハンマースホイだったはずなのにいつのまにか短くされている)の展示をみにいった。知人が先に行ったときにハマスホイ以外にいくつか良いのがあったと言っていて、探しながらみて、あとで答え合わせをしたらずばり正解した。ハマスホイは言うまでもなく良かった。ほぼリアリズムな室内画(そんなジャンルがあるのかわからないが)に対して、風景画は建物がケーキのような質感で描かれていたり野原がコミカルな起伏になっていたりして意外だったけどそれも良かった。

 

そのあとで修士の卒展をみにいきそびれた友達の作業場にお詫びのビールを持って行ったらその人の彼氏もいて、高村光太郎高田渡の話をきいた。ビールを3本持って行ってみんなで飲んで話したあと、帰るときになって彼がプレモルを2本くれた。