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2024/04/??

起こったこと

ある朝私は、東京の東西にわたって敷かれた都道沿いの歩道を気もそぞろ歩いていた どういう理由があったかは忘れたが、私は浮ついた歩みで進んでゆき、そのまま電柱の支線カバー(黄色い斜めの筒)にパコッと左肩をぶつけた その瞬間、私の後ろを歩いていたおばさん(おばさんが私の後ろを歩いていたのを私はその瞬間まで知らなかった)が、ひとりごとというにはいささか大きすぎる声で悲鳴をあげた 私にはおばさんが私の驚きを肩代わりしてくれたように感じられた そのすぐあとでその場にいた人たちみんなで笑った 後ろを振り向くのが気まずかったから、私たちは全員前を向いたままに笑い声を同一方向に吐き出していた

 

コメント

上に書いたことを、括弧記号を使わずに書けるようになりたい

大江健三郎『水死』 新視点 ネタバレ有り

 以下の文章は大江健三郎『水死』、「奇妙な仕事」、『万延元年のフットボール』のネタバレを含みますので一切のネタバレをきらう心配性のかたはけっして読まぬようお願いいたします

 

 

 

 

 

 

 

 

……きのう大江健三郎の水死を読み終わって、最後のところでかなりヘンな事に気が付いたのだが、私の周りで水死をおしまいまで読んでいるひとを知らないうえに、気付いたことも全然大したことないだろうから、友人に水死よんでくれよとわざわざ頼むこともできず、しかし個人的には元々の関心にかかわることであるから誰かしらに言っておきたくもあり、ここで供養する

 

私は以前から「奇妙な仕事」の書き出しの一文、

 付属病院の前の広い舗道を時計台へ向かって歩いて行くと急に視界の展ける十字路で、若い街路樹のしなやかな梢の連りの向こうに建築中の建物の鉄骨がぎしぎし空に突きたっているあたりから、数知れない犬の吠え声が聞こえて来た。

「奇妙な仕事」岩波文庫大江健三郎自選短篇』所収 p.11

に対して並々ならぬ関心を寄せていた ただの風景描写ではない

「付属病院の前の広い歩道を時計台へ向かって歩いて行く」までで語る主体の移動が、「急に視界の展ける」で移動した主体の視野の変化が、「十字路」で、文末時点での語る主体の位置が、「若い街路樹のしななかな梢の連なりの向こうに建築中の建物の鉄骨がぎしぎし空に突きたっているあたり」で展けた視界のうちで主体の目線の動きが示されており、そのことは最後の「数知れない犬の吠え声が聞こえて来た」ためにそちらをみたのだとあとからわかるようになっている 

一文でここまでの情報を込めるのはただ事ではない 初読時には内心で「へんなの!」と言っていたかもしれないが、気付けばときどき思い返してはこの文を一篇の詩のように反芻するようになってくうちに、いつしか鉄骨のつきたつ「ぎしぎし」とはいったいどういうことかということに関心の重心が移ってきた

 

ところで、きのう読み終えた「水死」の終わりはこうなっている

 しかし、森歩きの古強者大黄さんは、注意深く突き進んで、決して倒れないだろう。錬成道場の真上の森は、本町区域を迂回して、谷間の森につながっている。大黄さんは歩き続け、夜明け近くには追跡の警官隊に追いつかれる心配のない場所に到っていただろう。それからは樹木のもっとも濃い葉叢のたたえている雨水に顔を突っ込んで、立ったまま水死するだけだ。

『水死』講談社文庫 p.526

大黄さんは、

本来は黄さんだったのに子供としては柄が大きいので大黄(だいおう)さん、孤児の引揚者のして作られた戸籍の名は大黄一郎、それが気の毒だとお母さんが採集する、薬草の大黄が村での呼び名はギシギシなので、そういうておった人……

『水死』講談社文庫 p.280

と説明されているとおり、語り手やその家族たちからはギシギシ、とかギシギシさん、と呼ばれている 実際作中でも大黄にギシギシのルビが振られたり、ギシギシさん自体がギシギシを自称している場面もある

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第八章 大黄(ギシギシ)

『水死』講談社文庫 p.277

 

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大黄さんの自身の発言「〜やっぱりギシギシですが!」

『水死』講談社文庫 p.524

 

大江自身が「これが小説だと主張する気持ちは半分半分です」と語った『晩年様式集』を除けば、『水死』が大江の最後の「小説」と言って良いだろう そして「奇妙な仕事」は大江のデビュー作だ 

そう、大江健三郎の初めの短編の一文目と、最後の「小説」の終わりの文はともに ぎしぎし たって いるのだ 

 

 

 

これがどういう種類の冗談なのかは自分にもわかっていないが、検索した限りそういうことを言っている人もみつけられなかったため、新視点ということで書いた 

 

 

 

以下余談

作品のネタバレについて 私はまったく気にしないのだが、気にする人がいるのもたしかなので、上では注意書きめいたことを掲げた しかし「気にする人がいるからやめる」式の道徳はクソだとも思っている できることならば根拠を示したうえで、私はやるとかやらないとか言いたいものだが、正直いまのところそこまでネタバレということ自体に興味を持てないでいる そこで仕方なく(怒られるのが面倒で)書いた、書いてしまいました

先日Twitter万延元年のフットボールのネタバレにあたる投稿をしたくてたまらなくなったのだが、おそらく話の根幹にかかわるネタバレになってしまうだろうからぼかした書き方しかできなかったのがやっぱり気掛かりなのでそのこともついでに書く

「はじめおれが襖のこちら側から覗いていた間は、鷹が胸や股にさわるのを、ただ疲れているから反抗するのが面倒で、そのままさせているようだったけれども、おれが襖をあけた時にはもう菜採ちゃんは、鷹がやり始めるのを待っていたよ。おれは裸足の足の裏がふたつ、鷹の尻の両側に、おとなしく直角に立っているのを見たもの! おれが、今度は菜採ちゃんに、そういうことをしたら蜜にいうぞ、といったら、菜採ちゃんは、いってもいいのよ、星、といって静かにしていた。とうとう鷹がやり始めても足の裏はそのままじっとしていたし、痛がる様子なんかなかったよ!」

万延元年のフットボール講談社文芸文庫 p.344

ここでは、蜜が主人公、菜採ちゃんがその妻、鷹は蜜の弟、星は鷹の子分なのだが、場面としては主人公の蜜に対して星が妻の不貞をねちっこい描写で教えてあげているところ 

この足の裏の角度に対する異常なこだわりだけでも大江健三郎の偉大さが示されている 漫画やアニメと違う、小説にしかない強みです

 

 

 

 

 



 

2023/01/17

17日の朝1時ごろ、高架下ぞいの喫煙所にいたら友人から「明日東京の西の方にいるからビールでも飲みませんか」という連絡がきた 「徘徊終わって寝て起きたら連絡くださいね」と言われ気遣いに頭が下がった 結局4時ごろまで歩き、6時ごろ寝る

13時に起きて吉祥寺集合ということになり、のろのろ準備をして家をでて電車に乗る前に駅横の喫煙所寄ろうとしたらバリ封されており、仕方なく駅ビル最上階の喫煙小部屋まで登ってバカでかいタワマン眺めてたら電話がかかってきて、計画変更し友人が私のうちに本を買いにきてくれることになった(私は古物商をしているため)

一度帰って大片付け(おおかたづけ)をし、駅前の日高屋で合流 ビール、冷奴、ねぎチャーシュー、春巻、〆のラーメンを頼む 先日友達と酒を飲んで意識と記憶を飛ばしながら発狂し逐電するということがあったので反省していたんだけど「もしそうなっても私が面倒をみます、何なら酒で酔わせて本を買い叩いてやる(冗談)」といわれたのでじゃあまあいいかと思った 帰りにスーパーに寄って酒と行方不明になっていた来客用スリッパを買った

酒を飲んでから欲しい本物色してもらって30冊近く買っていただき相当助かった ありがたい 音楽かけたりしてしばらくして家を出て帰りしな深夜の散歩に出かけた

酒飲みながら集合住宅とかみてたら感情が高ぶってきて西東京の良さをキモい感じで語ったような気がする 最後牛丼を食べて味噌汁の悪口を言い、店出て近くの公園で喫煙し、そろそろ終電だし帰ろうとなって駅に向かって歩き始めたら、植え込みにじいさんが埋まっていた 以下この文章の本題

じいさんはひっくり返ったカメのように手足をばたつかせていて我々は一度前を通り過ぎそうになったが踵をかえして、手を持って起こそうとしたが全然無理で(脱臼しちゃうんじゃないかと恐れる気持ちもあった)結局肩を担ぐようにして起こして、そのままもうほとんど自分で歩けない状態のじいさんを近くのベンチまで運んだ ベンチに座らせて「大丈夫ですか」「水はいりませんか」「お家は近いんですか」とかきいてあんまり要領を得ない回答をされてたんだけど「お酒飲んできたんですか」ときいたところ「あたりまえよう」かなにか言ったあと、じいさんはあっけらかんとした顔で「あなたたちもくさいねえ」としみじみ言ってきた(友人の説では「お兄ちゃんなんかくさいなあ!?」だったらしい) 私はかなり面食らって「酒のんでタバコ吸ってきたからねえ」と返した 前後不覚になって植え込みから引きずり出されてその感想が出てくることがかなりおもしろく、かっこよくもあってただただ脱力した

終電の時間も近付いていたので「歩けるようになるまで少し休んでから帰ってくださいね」とだけ言って我々はじいさんを置き去りにし、帰りに駅前の交番に寄ってじいさんが公園で前後不覚になってると伝えあとのことは任せ、友人は終電で帰っていった

この日のことは何年かあとに思い出しても笑えると思うが、自分の記憶に自信がないので記録に残す 

じいさん、おもしろすぎた

最後にひっくり返ったカメにかんする私の大好きな短文をご紹介 途中の食べ物の話とかもかなり良い

 ある若い統合失調症の患者さんが、初めて入院して二日ほどの時、「家に置いてきた亀のことが心配」とつぶやいた。餌のことを心配しているのかと思って聞いていると、「ひっくり返ると機械になっちゃうと思って」と言う。「カメ」がひっくり返って「メカ」……。

www.iwanami.co.jp

 

 

2023/01/10

午前2時頃寝る準備をして布団に入るも全然眠れる気配なく、酒を買いに行って歩きながら久々にしゃべる人と電話した

近況報告して私は一年かけて歴戦の歩行者になった話をしてたら旅行の話になり、ダムの前にある温泉を教えてもらった ダム前温泉というだけですでに古賀春江の絵みたいで面白いのに、放流すると温泉は完全に水没するらしくてかなり良かった 

www.yubara-kikunoyu.com

 

駅A 自宅 駅B

駅Bまで歩いていってトップバリューみたいな酒をふた缶買って飲みながら駅Aまで歩いてかなり空腹だったので4時に開店した牛丼屋でねぎたま牛丼を食べた 米が一部炊けてなくてカチコチになっておりそんなことは初めてだった 私のあとに来た人らも硬い米を食べたんだろうか 帰りにもうひと缶買って一気飲みして寝た

◆◆◆

9時頃起きて1時間程度もぞもぞして準備して諏訪敦の展示をみにいった

実はかなり苦手意識を持っていた画家で、以前仕事で画集を何度かみる機会があり、その度フランス書院の装画みたいで怖い(これをここに書くの本当に大丈夫なのか?と思ったけどなぜ苦手かといえばそのようにみえるからだしそう書くしかない)と思っていたんだけどツイッターのひとがすごく良かったと言っていたのをみたので、みにいくことにしたのだった

最近府中を深夜徘徊しまくってるんだけど、暗いなかで歩くのと晴れていて歩くのとでは距離感に随分差があって、暗いと情報量が少なくて空間把握する際に実際よりも圧縮されるのかしら、とか考えていたけどなかなかつかなくて改めて府中の地理のゆとり感?に感動する 競馬場、競艇場、美術館、公園、街道、多摩川、デカい集合住宅郡、学校、刑務所 あと府中市立美術館は建物自体もすごく良かった またみにいきたい

www.city.fuchu.tokyo.jp

展示は入って一番目にあった《father》1996年(美術館のサイトに画像があります)がとにかく良くてド頭からこれでは、どうなっちゃうんだ、と怖くなったけどその絵が展示の中で最も良かったのだった

光をちゃんと捉えている絵画って輝いているようにみえるんだっていうのをPeter Doigのときにも思ったんだけど、また思い出した

静物画のシリーズもかなりよくて、額がとにかくセンス良かったのとライティングもかなりキマっていた そして順路を歩いていって別の部屋に入ってかなりデカい大野一雄の絵をみて息がヒュッとなった

図録が5000円超えててたまげました

ツイッターのひとの言うことを信じてみにいって良かった

 

帰りは大國魂神社の方へいって提灯群とどデカい銀杏の木をみて街道を北上して帰った なんだかんだ20kmくらい歩いたので帰ったら5時間くらい気絶

全部うそ

意見の表明や事実でない、現実に起きた出来事とも一切関係がない怪文群

 

 

2022/11/16

最近読んだ

大江健三郎 奇妙な仕事(『見るまえに跳べ』新潮文庫、所収)

附属病院の前の広い鋪道を時計台へ向って歩いて行くと急に視界の展ける十字路で、若い街路樹のしなやかな梢の連りの向うに建築中の建物の鉄骨がぎしぎし空に突きたっているあたりから数知れない犬の吠え声が聞えてきた。

 

金井美恵子 愛の生活(『愛の生活 森のメリュジーヌ講談社文芸文庫、所収)

書クコトなんて、反社会的で隠微で……頭をかくのとは違うんだからな、恥じなくてはいけません。

 

田中小実昌 『ポロポロ』中公文庫

みんな、言葉にはならないことを、さけんだり、つぶやいたりしてるのだ。それは、異言というようなものだろう。使徒行伝の二章にも、異言という訳語は見えないが、そういったことが書いてある。使徒たちが、自分がいったこともない遠い国の言語でかたりだしたというのだ。こんなふうに、記されたことでは、異言には、こういう意味があったというような場合が、それこそ記されてるが、実際には、異言は、口ばしってる本人にも他人にも、わけのわからないのがふつうではないか。うちの教会のひとは、異言という言葉さえもつかわなかった。ただ、ポロポロ、やってるのだ。

 

神林長平 『狐と踊れ』ハヤカワ文庫JA、所収)

踊っているのでないのなら 踊らされているのだろうさ